ぶちプチコラム一覧
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辛子明太子発祥の地
韓国では昔から唐辛子と鱈の卵巣を塩漬けにしたキムチのような明太子があり、日本にも輸入されていました。戦後、物資が不足し、下関でこの明太子の代わりに「たらこ」に唐辛子をまぶして作ったのが今日の辛子明太子の原型とされています。
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「小日本」の由来
杢路子(むくろうじ)というところに住んでいた庄屋とその息子が、ある年の正月、長府藩毛利家へ年始挨拶の旅に出た。貴飯峠から菊川平野を見渡して「父上、日本は広いのう」と子が叫ぶと、父は子をたしなめて「これくらいで驚いては笑われようぞ、日本はこの十倍もあるぞよ」と言った。この話が語り継がれ、小日本という名前が生まれたと言われている。
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蓋井島にエミュー牧場誕生
「エミュー」はダチョウに似た飛べない鳥。欧米では低脂肪でヘルシーな肉質に注目が集まっています。蓋井島の海の男たちが平成14年から飼育を始めたのがこのエミュー。島再生の夢を乗せて、休耕田を利用した牧場で元気に成長中です。
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晋作の号「東行」と「梅処」の由来
高杉晋作が名乗った「東行」の号は、「西へ行く人(西行)を慕いて東へ行く我心をば神や知るらん」と歌ったことにちなんでいます。又、生前晋作は愛人おうのに「梅処」という名をつけました。好きな「梅」の一文字で、恋しい人をつつみました。
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孫文蓮
大正7年(1918)に日本に亡命していた「中国革命の父」孫文が革命援助のお礼として、長府在住の田中隆氏に4粒の蓮の実を贈りました。その後、昭和35年に田中氏の四男隆盛氏によりハス博士大賀一郎氏に発芽育成が依頼されました。昭和37年東京大学農学部付属緑地実験所において4粒のうち1粒が発芽し、「孫文蓮」と名づけられ平成6年に長府庭園へ分根されました。
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平家塚
壇ノ浦の合戦で敗れた平家の人々が落ちのびたと伝わる高畑の集落。「平家塚」と刻まれた碑の横をさらに奥へ進むと、古い五輪塔6基ほかの墓石がひっそりと建っています。(大字高畑、野久留米街道から600m)
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火の山下潮流信号所『潮流信号』
海峡へ向け不思議な記号の点滅を繰り返す電光掲示板。この施設は潮流信号所といわれ、関門海峡を行き交う船の安全を守るいわば海の信号機。刻々と変化する関門海峡の早鞆瀬戸における潮流の[W(西流)/E(東流)]で方向を、[1〜13(ノット)]で速さを、及び今後の流速の変化を[↑(上げ)/↓(下げ)]で表しています。(1ノットは、時速1.852kmです。)
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『下関平家踊り』
壇ノ浦の合戦で栄華の夢を閉じた平家一門の供養の踊りに源を発する、下関の郷土芸能。市内全域で踊られ、8月の「馬関まつり」(P23)では、数千人の踊り手が参加しますが、なかでも彦島は特に盛んな地域のひとつです。また、国内はもとより海外公演にも数多く出演し、広くその名を知られています。
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巌流島の人気者
現在は無人島の巌流島に住んでいるのは、何とタヌキ!近くの彦島から泳いで渡ってきたという話もあります。「他を抜く」の語呂合わせから勝負事に縁起がいいとされ、今では島の人気者に。会えたら必勝まちがいなし?!
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恋人灯台伝説
ボードウォークに海を隔てて並ぶ赤と白の二つの灯台は恋人灯台と呼ばれ、恋人同士が両方の灯台に触れて愛を誓うと必ず結ばれるといわれています。TVアニメ「名探偵コナン」でも紹介されました。
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韓寺「光明寺」
下関駅からバスで8分、中央町バス停へ、そこから歩いて3分のところに山口県で唯一の韓寺「光明寺」があります。韓国の絢爛な雰囲気を醸す本堂をはじめ、魚の形をした木魚や重量約4トンの巨大な釣鐘があり、力道山の実物大の木像も静かに佇んでいます。
住所:神田町2-9-11
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下関とうに
古くはその島の形から「かに島」と呼ばれ、彦島の北西に浮かぶ六連島。いまでは全国どこでも作られている「ウニの瓶詰」は、この島の西教寺というお寺の蓬山和尚と外国船の船員達との酒宴の最中に偶然生まれたものです。船員が杯につごうとした洋酒を、誤ってウニの入った小鉢にこぼしてしまいました。船員は失礼を詫びましたが、それを食した住職はにこりと笑って相手の小鉢にもその酒を注ぎました。これがアルコール漬けウニの始まりといわれています。