HOME > エリアで探す > 吉見・吉母・安岡・綾羅木/新下関 > 史跡勝山御殿跡 史跡勝山御殿跡 しせきかつやまごてんあと 文久3年(1863)長州藩が攘夷を決行し、関門海峡の外国船に砲撃を開始。長府藩主・毛利元周は、外国船の報復攻撃に備えて、海岸に近い串崎城麓の藩邸を離れ、覚苑寺に仮住まいします。そして、わずか5か月で急造した藩邸が勝山御殿です。元治元年(1864)2月に入城し、廃藩置県まで存続しました。 吉見・吉母・安岡・綾羅木/新下関 公園 名所・旧跡 基本情報 交通案内 JR新下関駅からバス8分「田倉」下車、徒歩15分 アクセス シェアする ツイートする LINEを送る このスポット周辺のおすすめ 中山神社 幕末期、急進派の公卿として活躍した中山忠光を祭神とする神社。忠光は明治天皇の叔父にあたり、元治元年(1864)、長州藩の俗論党によって田耕村… 神社・仏閣 詳しく見る 詳しく見る 本州最西端の地・毘沙ノ鼻 北緯34度6分38秒、東経130度51分37秒。本州最西端の地。展望広場は日本海に沈む夕日を眺める絶景スポットです。 公園 自然 詳しく見る 詳しく見る 蓋井島 吉見の沖合約6km、響灘に浮かぶ人口約100人、漁業を中心とした島です。7年目ごとの11月に4日間にわたって行われる「山ノ神神事」があります… その他 詳しく見る 詳しく見る もっと見る