下関駅周辺コース
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荷受問屋を営む傍ら、自らも隊士として高杉晋作と奇兵隊を支えた勤王商人。晩年は一切の俗事から離れ、赤間神宮の宮司として生涯を終えました。享年69歳。
白石正一郎は荷受問屋で富を築いた豪商で、晋作をはじめとする維新の志士たちを物心両面から支援した。奇兵隊は、文久3年(1863)6月8日、白石邸で結成されました。
萩城下に生まれ、松下村塾に学び、幕末の最強軍団・奇兵隊を創設。長府功山寺の挙兵を機に長州藩を討幕運動の主役へと導きますが、維新実現を目前に没しました。
元治元年(1864)、長府功山寺で決起した高杉晋作たちが、新地会所襲撃後にたてこもった寺。本堂の柱には当時の刀傷が残っています。
高杉晋作らの発議により元治元年(1864)に日本で初めての招魂場完成。慶応元年(1865)に本社落成。吉田松陰を中心に、維新に散った志士たち約400柱が祀られています。市指定史跡。
萩本藩の出先機関だったところで、高杉晋作たちが、俗論派政権打倒のため最初に襲撃し、占拠した場所です。
平家一門が安芸の厳島神社の分霊をいただいて守護神として船中に祀っていましたが、壇ノ浦の合戦後、磯辺に漂着していた神霊を寿永4年(1185)に社殿を建立し、祀ったのにはじまるといわれています。境内には慶応2年(1866)小倉戦争に勝った戦利品として、奇兵隊が小倉城から持ち帰った大太鼓が保管されています。
病(肺結核)をおして小倉口の戦いを指揮した高杉晋作は、慶応3年(1867)4月14日、27歳8カ月の短くも激しい生涯を閉じました。
韓国・釜山と国際航路で結ばれている下関らしい商店街。焼肉や本場の韓国食材を扱う店など、“リトル釜山”を思わせる通りです。
白石正一郎の銘が残る大鳥居は、攘夷必勝を祈念して文久2年(1862)に寄進したもの。また境内にある七卿画碑も維新の歴史を伝えます。源義経が必勝祈願をした地に建てられたとのいわれを持つ神社です。
風の預言者(高杉晋作)像
高杉晋作の盟友。奇兵隊の前身となる光明寺党を結成。元治元年(1864)七月、京都・禁門の変で討死。
新地会所を襲撃し、了円寺にたてこもったが、隊員が増え手狭になったため、本陣を豊前田のこの寺に移しました。
高杉晋作と共に萩・松下村塾の双璧と称された久坂玄瑞が、後に奇兵隊の母体となった「光明寺党」と呼ばれる一団と寄宿したことで知られます。本堂の柱には浪士たちの刀痕が残っています。 (韓寺の光明寺とは異なります)
桜の名所として知られ、関門海峡を見晴らす丘の上には、昭和31年(1956)、没後90年を記念して建立された高杉晋作の陶像が立っています。
ゴール
GOAL
青春交響の塔
維新発祥の地・下関のシンボルとして平成15年(2003)に完成したモニュメント。新時代を共に夢見た高杉晋作と坂本龍馬の友情が二本の石柱で表現されています。