東行庵 とうぎょうあん
高杉晋作は遺言によって奇兵隊の陣屋があった吉田の清水山に葬られました。その晋作の菩提を弔うために、愛人・おうのは梅処尼となって庵を結び、生涯、晋作の墓を守って暮らしました。高杉晋作の墓は国指定史跡。境内一带は、早春は梅・椿・桜、初夏は菖蒲、夏は花ハス、秋は紅葉、冬はサザンカに彩られます。
吉田
基本情報
交通案内 | JR小月駅からバス14分「東行庵入口」下車、徒歩8分 |
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電話番号 | 083-284-0211 |
関連URL | https://www.tougyouan.jp/ |
その他 | 【P】無料駐車場有り。※大型バス数台可
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アクセス
ゆかりの人物
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晋作の活躍を支えたおうのおうの1843-1909
下関で芸妓をしていた20歳の頃、高杉晋作と出会い、東奔西走する晋作を愛し支えた女性。晋作の没後は出家し、谷梅処として生涯、東行庵を守りました。
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動けば雷電の如く 発すれば風雨の如し高杉晋作たかすぎしんさく1839-1867
萩城下に生まれ、松下村塾に学び、幕末の最強軍団・奇兵隊を創設。長府功山寺の挙兵を機に長州藩を討幕運動の主役へと導きますが、維新実現を目前に没しました。
ぶちプチコラム
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晋作の号「東行」と「梅処」の由来
高杉晋作が名乗った「東行」の号は、「西へ行く人(西行)を慕いて東へ行く我心をば神や知るらん」と歌ったことにちなんでいます。又、生前晋作は愛人おうのに「梅処」という名をつけました。好きな「梅」の一文字で、恋しい人をつつみました。