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下関観光ガイドブック WEB版

史跡勝山御殿跡 しせきかつやまごてんあと

文久3年(1863)長州藩が攘夷を決行し、関門海峡の外国船に砲撃を開始。長府藩主・毛利元周は、外国船の報復攻撃に備えて、海岸に近い串崎城麓の藩邸を離れ、覚苑寺に仮住まいします。そして、わずか5か月で急造した藩邸が勝山御殿です。元治元年(1864)2月に入城し、廃藩置県まで存続しました。

吉見・吉母・安岡・綾羅木/新下関

基本情報

交通案内 JR新下関駅からバス8分「田倉」下車、徒歩15分

アクセス

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